きっとステキな人生になる

周囲のことを考え、バランスをとる。自分がどう立ち回ればいいのか、全体を見て、決める。空気が読める日本人。

そういうところもステキだけど、自分の感覚を大切にすることもとてもステキ。

ずっと空気を読むことを優先してきた人は、自分の感覚を優先してみる。

自分の感覚を優先してきた人は、空気を読んでみる。

そうすると、自分の世界がグン!と広がる。もっともっと上手くいく。

だって、今までやってきたことは、もう既にできるのだもの。

 

恙無く(つつがなく)平和に、変わらない日常を愛しているのなら、それを丁寧に大切に生きればいい。

きっとステキな人生になる。

 

人生の未知の世界、未知の自分を拓きたいと思ったなら、知らない世界に飛び込めばいい。

きっとステキな人生になる。

 

後者の方に、心理学やセラピーを真の意味で生かして欲しいと思って、そこにフォーカスしています。

心理学やセラピーを「これでいいんだよね」という自分の知っていることへの保証に使おうとすると、もったいないのよね。

周りの人に変わって欲しいと願うより、自分の土台を整え、踏み出した方が、断線、面白い!!

 

土台を整える。

根本(根源)につながる。

それが冒険への勇気の原動力になる。

そして、それだけでない未知の世界観に拓かれる。

 

そんな方のために強力なサポーターであり、実践者で在り続けたいと思う。

人生は最高のミステリー。

 

近道もないけど叶わない願いもない

近道もないけど叶わない願いもない

言い得て妙なこの言葉は、朝水久美子TV vol.02にゲスト出演してくださいました福田麻紀さんが放送の中でおっしゃっていました。

悩みや出来事の中には、何か自分自身にとって大切なものがあるのです。

安易に悩みや出来事を解決することで、その大切なものを見つけらず、自分にとって不本意と思えることに囚われてしまいます。

出来事は中立です。

それをどう捉えるかは、まさに人によって千差万別なのです。

その捉え方に、自分が観ている世界の元となっている思考や信念があります。

遡れば、シンプルに親子関係で感じたこと(信念・思い込み)にしがみついているだけだったりします。

しかも、その感じたことは、客観的には別の側面があることを見落としていたり。

自分の抱えている信念が成り立つように人生を進行させていることに氣づければ、自分が見ている世界は一変します。

見たいように見ているというのは、こういうことか!と氣づければ、自ずと見るものが変わり、選択が変わり、エネルギーをどこに注ぐか違ってきます。

エネルギーをどこに注ぐのかは、今抱えている悩みや出来事への自分の反応に現れています。

それは自動的に無意識に。

エネルギーを注ぐとは、自分の世界を創造するというところにダイレクトに現れます。

自分の注いだエネルギーの質が、生み出されるものに現れるのです。

「だって、自分はちゃんとしていても、世界はそうなっていない」という声も聴こえてきそうですが、

もし、自分が何をやっても世界は変わらないから自分は変わらないのか、

世界が変わらないとしても、自分が変わろうとするのか。

 

それが、自分の見る世界を変えるのです。

 

今の悩みや出来事から自分の願いが見えませんか?

悩んだり、何が心が動くような出来事は、それを知らせています。

 

近道はなくても、叶わない願いもないのです。

 

 

福田麻紀さんのセッションについては、こちらをご覧下さい。

刻まれたもの

短い夏休みを過ごしながら、仙台へ宝石の会と個人セッションに行って参りました。

既に秋の気配をいたるところに感じました。

のんびりしながら「休む」ということについて、夫と語り合ったり、いつもと違う空間で過ごすのは、やっぱりいい!

 

 

仙台では、出逢った人の手相を拝見しましたが、手相の面白さと奥深さを感じました。

自分自身の身体(手のひら)に刻まれているからでしょう。

シンプルに自分の内側からのメッセージとリンクし、深く受け取ってくださる場面が多いように感じます。

同じサインでも、解釈が流派によってずいぶん違うという印象もあります。
私は、その吉凶よりも、その手のひらに刻まれた印をニュートラルに読みます。

魂のアカシックレコードと今と未来の青写真を観ているようです。

 

意志は、あらゆることを越えていきます。

そして、意志の傍らには人智を越えたものが存在するのだと感じます。

自分が自分を裏切らなければ、運命は味方してくれる。

自分を裏切っても、自分を赦せば、赦されないことはないと語りかけてくれます。

そのメッセージと光景は、見事にその人を表しているようで興味深いです。

 

嬉しいご報告が相次ぎ、それは既に視えていた光景だったとしても、それを現実化している姿に触れると、また新しい感動がこみ上げます。

なぜなら可能性の世界は無数にあり、それを選ぶかどうかは自由意志に完全に委ねられ、現実化したときに、その時点の最大の可能性を越えてくることもたくさんあるからです。

しみじみ可能性は無限なのだと思うばかりです。

 

 

奇跡の出逢いに

出逢う人は、自分の分身みたいな人ばかり。

この仕事を始めたとき、まさに過去の自分のような人ばかりが、見事に来てくれるんだと驚いたことを思い出す。

私を知ってから何年もかかって、逢いに来てくれる方もいらっしゃる。

知ってすぐに導かれるように逢いに来てくれる方もいらっしゃる。

東京は、たくさんのものが集まっているところで、それは東北の比ではないと実感したのは、こちらに来てほどなく。

あら!まあ!すごいわ!この中で、どうやって私を見つけてもらおうかしら?

と思った。同時に、今までより自分を最大限に表現できるところなのだとも思った。

過去を手放して、真っ新になることの難しさを痛感したのは、その過去が私にとって、間違いなく輝いたものだったからだ。それでも、過去を抱えるのではなく、今の自分として前に進もうとしている自分を感じて、その自分と共に試行錯誤、立ち止まったり、進んだり、スイッチが入るとただただ流れに身を任せていくことができたり。

そんなこんなの無我夢中の今も、やはり出逢うべくして、出逢うことができることを誰に感謝したらよいのやら。

 

「言葉にしたら、とてもシンプルなことが胸に沁みる。」
「その言葉を本当に受け取ってよいと思えた。」
「その言葉の本当の意味が何年も経ってから分かったりする。」
「頂いた言葉は、まるで一生ものの宝石のようだ」
と、私との時間を大切にして、その瞬間に生まれたものが育って行くのを感じられることは、言葉にならない喜びを感じる。

 

発する言葉は、言葉を越えたものと共に命をもったものであるようにと祈りながら

その瞬間、魂に触れるような時間を過ごすことを赦されることへの畏敬と喜びをこめて。

シンプルに、ただありのままに、その魂が輝いていくのを眺めていられることに限りない喜びを感じています。

私を見つけてくれて、ありがとう。

魔法言葉

今月は、初めての方や遠方からのお客様が来てくださって、私もリスタートと相まって、愉しいシンクロニシティを感じています。来てくださる方が天使のような人ばかり。透明感があり、癒し系で、美しい。

セッションの際に、手相も見せていただくのですが、いろんな発見があって、興味深いです。

私はセラピーが変態的に好きなので、氣がつくとセラピーのことばかり考えている。新しいことを学んだら、寝ても覚めても反復します。調べます。そして、心理学も、カウンセリングも、カラーも、ソウルプランも、宝石も、手相も、教科書にないことは、すべてクライアントさんからのメッセージで学びを深めたり、発見をします。それが私の中でつながり、ひとつになっていく。

ひとりの存在が持つ、情報の膨大さを感じます。

 

いつまでも、どこまでも、果てしない発見の連続です。

私の中の確信は、自信をもってお伝えしますが、同時に、自分の中にできるだけ広く余白をあけておく、前例や知っていることだけに頼らないことも大切にしています。
真っ新な自分で、未熟なひとりとして、共に発見するために。
また様々な情報を受け取るためにも。あらゆるところにサインや導き、メッセージがあります。

 

手相で、最近感じるのは、手相の特徴によって、魔法言葉が違うということ。
これは、「意識を向ける領域」「自分への言葉」「アファーメーション」のようなものです。

「私は恵まれている」「私は大変なことを乗り越えてきた」「私は自由」「私は◯◯に向かう」など。

往々にして魔法言葉は、心の中で抵抗がある言葉の場合も少なくない。そのプロセスで、解放が起る。
何もない人生はないけれど、辛いことより恵まれていることにフォーカスすると、運命の波に乗れる人もいれば、
辛いことを乗り越えてきた、大変だった、よくやってきた、ということにフォーカスすると、潜在している能力を発揮できる(ギアを入れ替えるようなことが起る)人もいる。

ああ、こんなことを氣がつけば考えている私はやっぱり変態です。

素晴らしい魂が、この地上で伸び伸びと輝き、この地球をもっともっと美しくするために、私は私のできることを。私ひとりの力は、あまりにも小さいけれど、それぞれが輝けばそのパワーはどんどん広がる。

この地球をもっともっと美しくするのは、ひとりひとりだから。

朝水久美子TVは、こちら

【番組の流れ】
9分30秒〜 朝水久美子によるソウルプランリーディング
28分〜 朝水久美子による手相鑑定
35分〜 ゲスト詫間千寿さんによる算名学
1時間〜 DoingとBeing

sacre coeurのシンクロ二シティ

新しい屋号が「sacre coeur」(サクレクール)と言います。
どうしてこの名前にしたのだろうというと、「聖なる心」という意味のフランス語のこの言葉がなんだかとても心が惹かれたという意外には、明確に答えられないかもしれないのです。あらゆる言葉、あらゆる言語がある中で、ひとつを選ぶに至ったというのは、自分の思考を越えた何かがあるのだと思います。

今日、贈り物が届きました。

昨年6月にパリのサクレクール寺院に行ったとき、

「これは久美子先生にあげるものだ」とはっきり思って買ったものです。

メダイの色は10色くらいあったのですが、迷いなくマゼンタとターコイズを選びました。

他の人のことは思い浮かばず、なぜか「久美子先生に」とだけ思い、自分でも不思議に思ったことをよく覚えています。

とはいえ、その後お会いする機会もなく、

物だけを郵送するのもしっくりこず、

それらの存在を忘れていました。

先日何気なく開いた先生のホームページで、「サクレクール」の大きな文字が目に入り、

一瞬でサクレクール寺院での記憶がよみがえり、

「そういうことだったのか!」と一人で納得し、ものすごーくすっきりし(笑)、送らせていただきました。

なので、先生に受け取っていただけてとっても嬉しいです❣❣」

 

私は、フランスのパリに行ったことはありますが、サクレクール寺院に行ったことはないのです。でも、知っています。明確に知っているのは、夫が、2015年8月9日、彼の誕生日にサクレクール寺院に行って、彼が撮った写真と共に彼の大切な旅の思い出を聞いたからです。結婚して初めて、別々の彼の誕生日に、お互いとても特別な気持ちになりました。別々でも、繋がっている感覚、想い合っている感覚を感じました。彼は、その夜、ムーランルージュに行こうとチケットを取っていただき、向かったのですが、あまりの行列に、旅行に誘ってくださった宝石の師匠である故岡本憲将社長が「混んでいるからやめよう!」と、別の方向に歩き始め、きっとこの先にあの店があったはずだと向かったのですが、なかなかその店は見つからず、たどり着いたのが、サクレクール寺院だったそうです。

その日は、スーパームーン。

約二週間の旅を過ごして最終日の夜だったそうです。
「きっと、これを見るために、来たんだ」と言っておられたそうです。
夫は、今まで見たこともない世界を見せてもらい、親子のように過ごした最後の日、しかも誕生日に訪れた寺院。それが新しい屋号を探していた私の心にヒットするとは。屋号を決めたとき、言葉の意味から見つけたので、寺院の名前から頂いたのではなかったこともちょっと不思議でした。そういえば、あの寺院の名前もサクレクールだった!と後で氣づきました。

 

そして、四年後の彼の誕生日に、私宛に、サクレクール寺院からの品が届いたのです。

サクレクール。

聖なる心。

これは、私の思考では絶対に知ることのできない領域の縁があり、メッセージなのだと感じました。

バラバラの様で、ひとつにつながるサイン。

これから私は、導かれること、サインに従うことで、更に力を抜いてその瞬間を味わおうと思います。

私の意志と見えない意志がつながっていく。

 

 

 

 

贈り主様が大好きだというサクレクール寺院から見たパリの街のお写真も送ってくださいました。お天気が良い日は、街がキラキラ輝いているそうです。

 

 

ごきげんで生きる

すいぶん穏やかになってきましたが、近年の「ポジティブでなければ」的な風潮は、なんだかなぁ、と感じていました。
なんでもかんでもポジティブに!と、それだけがいいのだと向かっていくと、歪みが出るもの。
ポジティブになれない自分はダメだ、と思ってしまって、自分はネガティブだと決めつけてしまうのも不自然です。
そもそも両方あって、ポジティブな時もあれば、ネガティブになる時もある。

結果として、ごきげんになれたらいいですね。

「結果として」というのがミソです。その結末には、自分の自分に対する信念や価値観が現れるからです。

何があっても、それがいい悪いに関わらず、結末に持っていくんですよ。それくらい信念や価値観(マインド)は、強いです。

四六時中、ポジティブじゃなくても、いいんです。

でも、結果として、ポジティブな側面も視界に入れることは大切ですし、ごきげんよく生きていれば、ごきげんなことは集まってきます。

笑う門には福来たる

これは真実です。

 

でも、笑う門には福来たるを地でいく人は、一方で、反対側の気持ちに寄り添うのも自然です。何も否定しないから、結果として、ポジティブな側面も直視でき、笑顔が出るのです。

ご機嫌という言葉は、元々は仏教用語で「人が不快に思うようなことをしない」というところから来ているそうです。

ごきげんでいるというのは、自分はもちろん、他の人のためでもあるのです。

 

だからこそ、ポジティブだけではなく、いろんな心の動きをありのままに受け容れることが大切ですね。それは、それ自体が成長であり、学びです。

受容(アクセプタンス)は、成長への学びと同時に人生のミラクルを引き寄せる神聖なパワーそのものです。

どんなに泣いても、恨んでも、苦しんでも、
普遍的に存在する「よい面」があることを忘れない。

 

いろんな感情には、様々なメッセージがあり、本には書いていない自分自身の大切な真実が隠れているのです。