シフト

化石燃料から、ゼロエネルギーへとエネルギー源を変化させるようなタイミング。

実際には、移行期間があって、徐々に変化してきている。切り替えの時は、一旦、その今までのエネルギー供給が止まったような感覚を覚えるだろう。

その切り替えは、何度か少しずつ、もしくは、はっきりと止まった後に切り替わり完了する。

その際に意識のシフトも同時に起こる。

新しいエネルギー源は、愛と信頼がベースになってるもので、枯渇しないもの。

過去がどうだったということは、ノスタルジーになっていく。

それは今ではない。

今、手の中にある愛と信頼をみる。

今を生きる。

 

刻まれたもの

短い夏休みを過ごしながら、仙台へ宝石の会と個人セッションに行って参りました。

既に秋の気配をいたるところに感じました。

のんびりしながら「休む」ということについて、夫と語り合ったり、いつもと違う空間で過ごすのは、やっぱりいい!

 

 

仙台では、出逢った人の手相を拝見しましたが、手相の面白さと奥深さを感じました。

自分自身の身体(手のひら)に刻まれているからでしょう。

シンプルに自分の内側からのメッセージとリンクし、深く受け取ってくださる場面が多いように感じます。

同じサインでも、解釈が流派によってずいぶん違うという印象もあります。
私は、その吉凶よりも、その手のひらに刻まれた印をニュートラルに読みます。

魂のアカシックレコードと今と未来の青写真を観ているようです。

 

意志は、あらゆることを越えていきます。

そして、意志の傍らには人智を越えたものが存在するのだと感じます。

自分が自分を裏切らなければ、運命は味方してくれる。

自分を裏切っても、自分を赦せば、赦されないことはないと語りかけてくれます。

そのメッセージと光景は、見事にその人を表しているようで興味深いです。

 

嬉しいご報告が相次ぎ、それは既に視えていた光景だったとしても、それを現実化している姿に触れると、また新しい感動がこみ上げます。

なぜなら可能性の世界は無数にあり、それを選ぶかどうかは自由意志に完全に委ねられ、現実化したときに、その時点の最大の可能性を越えてくることもたくさんあるからです。

しみじみ可能性は無限なのだと思うばかりです。

 

 

奇跡の出逢いに

出逢う人は、自分の分身みたいな人ばかり。

この仕事を始めたとき、まさに過去の自分のような人ばかりが、見事に来てくれるんだと驚いたことを思い出す。

私を知ってから何年もかかって、逢いに来てくれる方もいらっしゃる。

知ってすぐに導かれるように逢いに来てくれる方もいらっしゃる。

東京は、たくさんのものが集まっているところで、それは東北の比ではないと実感したのは、こちらに来てほどなく。

あら!まあ!すごいわ!この中で、どうやって私を見つけてもらおうかしら?

と思った。同時に、今までより自分を最大限に表現できるところなのだとも思った。

過去を手放して、真っ新になることの難しさを痛感したのは、その過去が私にとって、間違いなく輝いたものだったからだ。それでも、過去を抱えるのではなく、今の自分として前に進もうとしている自分を感じて、その自分と共に試行錯誤、立ち止まったり、進んだり、スイッチが入るとただただ流れに身を任せていくことができたり。

そんなこんなの無我夢中の今も、やはり出逢うべくして、出逢うことができることを誰に感謝したらよいのやら。

 

「言葉にしたら、とてもシンプルなことが胸に沁みる。」
「その言葉を本当に受け取ってよいと思えた。」
「その言葉の本当の意味が何年も経ってから分かったりする。」
「頂いた言葉は、まるで一生ものの宝石のようだ」
と、私との時間を大切にして、その瞬間に生まれたものが育って行くのを感じられることは、言葉にならない喜びを感じる。

 

発する言葉は、言葉を越えたものと共に命をもったものであるようにと祈りながら

その瞬間、魂に触れるような時間を過ごすことを赦されることへの畏敬と喜びをこめて。

シンプルに、ただありのままに、その魂が輝いていくのを眺めていられることに限りない喜びを感じています。

私を見つけてくれて、ありがとう。

魔法言葉

今月は、初めての方や遠方からのお客様が来てくださって、私もリスタートと相まって、愉しいシンクロニシティを感じています。来てくださる方が天使のような人ばかり。透明感があり、癒し系で、美しい。

セッションの際に、手相も見せていただくのですが、いろんな発見があって、興味深いです。

私はセラピーが変態的に好きなので、氣がつくとセラピーのことばかり考えている。新しいことを学んだら、寝ても覚めても反復します。調べます。そして、心理学も、カウンセリングも、カラーも、ソウルプランも、宝石も、手相も、教科書にないことは、すべてクライアントさんからのメッセージで学びを深めたり、発見をします。それが私の中でつながり、ひとつになっていく。

ひとりの存在が持つ、情報の膨大さを感じます。

 

いつまでも、どこまでも、果てしない発見の連続です。

私の中の確信は、自信をもってお伝えしますが、同時に、自分の中にできるだけ広く余白をあけておく、前例や知っていることだけに頼らないことも大切にしています。
真っ新な自分で、未熟なひとりとして、共に発見するために。
また様々な情報を受け取るためにも。あらゆるところにサインや導き、メッセージがあります。

 

手相で、最近感じるのは、手相の特徴によって、魔法言葉が違うということ。
これは、「意識を向ける領域」「自分への言葉」「アファーメーション」のようなものです。

「私は恵まれている」「私は大変なことを乗り越えてきた」「私は自由」「私は◯◯に向かう」など。

往々にして魔法言葉は、心の中で抵抗がある言葉の場合も少なくない。そのプロセスで、解放が起る。
何もない人生はないけれど、辛いことより恵まれていることにフォーカスすると、運命の波に乗れる人もいれば、
辛いことを乗り越えてきた、大変だった、よくやってきた、ということにフォーカスすると、潜在している能力を発揮できる(ギアを入れ替えるようなことが起る)人もいる。

ああ、こんなことを氣がつけば考えている私はやっぱり変態です。

素晴らしい魂が、この地上で伸び伸びと輝き、この地球をもっともっと美しくするために、私は私のできることを。私ひとりの力は、あまりにも小さいけれど、それぞれが輝けばそのパワーはどんどん広がる。

この地球をもっともっと美しくするのは、ひとりひとりだから。

朝水久美子TVは、こちら

【番組の流れ】
9分30秒〜 朝水久美子によるソウルプランリーディング
28分〜 朝水久美子による手相鑑定
35分〜 ゲスト詫間千寿さんによる算名学
1時間〜 DoingとBeing

朝水久美子TV

セラピーを多角度から観ていただく、朝水久美子TV!

人生の様々なこと、そして、スピリチャルなことを

ステキなゲストをお迎えし、天の声さんと共におしゃべりするスピリチャルプログラム。

第一回目は、朝水久美子の高校時代からの親友でもある詫間千寿さんをお迎えして、ソウルプランリーディングと手相鑑定をしながらお送りします。
千寿さんが行う算名学で、朝水久美子を読み解いていただきます。
天の声さんは、いろんな質問を投げかけて、番組を深めます。

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28分〜朝水久美子による手相鑑定
35分〜ゲスト詫間千寿さんによる算名学
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sacre coeurのシンクロ二シティ

新しい屋号が「sacre coeur」(サクレクール)と言います。
どうしてこの名前にしたのだろうというと、「聖なる心」という意味のフランス語のこの言葉がなんだかとても心が惹かれたという意外には、明確に答えられないかもしれないのです。あらゆる言葉、あらゆる言語がある中で、ひとつを選ぶに至ったというのは、自分の思考を越えた何かがあるのだと思います。

今日、贈り物が届きました。

昨年6月にパリのサクレクール寺院に行ったとき、

「これは久美子先生にあげるものだ」とはっきり思って買ったものです。

メダイの色は10色くらいあったのですが、迷いなくマゼンタとターコイズを選びました。

他の人のことは思い浮かばず、なぜか「久美子先生に」とだけ思い、自分でも不思議に思ったことをよく覚えています。

とはいえ、その後お会いする機会もなく、

物だけを郵送するのもしっくりこず、

それらの存在を忘れていました。

先日何気なく開いた先生のホームページで、「サクレクール」の大きな文字が目に入り、

一瞬でサクレクール寺院での記憶がよみがえり、

「そういうことだったのか!」と一人で納得し、ものすごーくすっきりし(笑)、送らせていただきました。

なので、先生に受け取っていただけてとっても嬉しいです❣❣」

 

私は、フランスのパリに行ったことはありますが、サクレクール寺院に行ったことはないのです。でも、知っています。明確に知っているのは、夫が、2015年8月9日、彼の誕生日にサクレクール寺院に行って、彼が撮った写真と共に彼の大切な旅の思い出を聞いたからです。結婚して初めて、別々の彼の誕生日に、お互いとても特別な気持ちになりました。別々でも、繋がっている感覚、想い合っている感覚を感じました。彼は、その夜、ムーランルージュに行こうとチケットを取っていただき、向かったのですが、あまりの行列に、旅行に誘ってくださった宝石の師匠である故岡本憲将社長が「混んでいるからやめよう!」と、別の方向に歩き始め、きっとこの先にあの店があったはずだと向かったのですが、なかなかその店は見つからず、たどり着いたのが、サクレクール寺院だったそうです。

その日は、スーパームーン。

約二週間の旅を過ごして最終日の夜だったそうです。
「きっと、これを見るために、来たんだ」と言っておられたそうです。
夫は、今まで見たこともない世界を見せてもらい、親子のように過ごした最後の日、しかも誕生日に訪れた寺院。それが新しい屋号を探していた私の心にヒットするとは。屋号を決めたとき、言葉の意味から見つけたので、寺院の名前から頂いたのではなかったこともちょっと不思議でした。そういえば、あの寺院の名前もサクレクールだった!と後で氣づきました。

 

そして、四年後の彼の誕生日に、私宛に、サクレクール寺院からの品が届いたのです。

サクレクール。

聖なる心。

これは、私の思考では絶対に知ることのできない領域の縁があり、メッセージなのだと感じました。

バラバラの様で、ひとつにつながるサイン。

これから私は、導かれること、サインに従うことで、更に力を抜いてその瞬間を味わおうと思います。

私の意志と見えない意志がつながっていく。

 

 

 

 

贈り主様が大好きだというサクレクール寺院から見たパリの街のお写真も送ってくださいました。お天気が良い日は、街がキラキラ輝いているそうです。

 

 

自分を大切にする愛するのは

 

自分を大切にする

自分を愛する

 

そのような言葉がいたるところで目に触れるようになりました。

自分を大切にするより誰かを

自分を愛するより誰かを

そんな成熟のプロセスがあり、その流れの中で、次のプロセスに入ったことのひとつの現れ。

 

自分より誰かを

それは、誰かの犠牲の上に成り立っていたことでもあります。

きっと、本人は犠牲になったと思わなくても、その人を愛する人々は、きっともっとその人自身の幸せを願うでしょう。

誰かの犠牲の上に救われるような時代は終りました。

 

成熟のプロセスとして、未成熟な時期は自分のことでいっぱい。
それは自分を大切にするという段階ではなく、自分の欲求を満たすことにフォーカスされます。

次の段階では、誰かのためになる、誰かの役に立つ、誰かに喜んでもらうことが喜び、そして、それによる自己成長の喜びにフォーカスされます。その過程で、もしくは、極まってきた時に、自分より誰かを優先し、その喜びや生きている実感に没入します。誰かが喜ぶ、満足することが、自分の存在意義のように感じたり、愛の学びが深まる。

そして、みんなの中に「自分」も入っていることに氣づく段階に来ました。
誰かは、自分も大切にすることを、愛することを願っているのです。
自分がそう思うように、誰かもそう思うのです。

自分を大切にするなんて、愛するなんて、カンタン♪
なんて思っていたら、
あら!大変!どうするんだっけ?!

という優しい神様のような人々にたくさん出逢い、自分を大切すること、自分を愛することの学びの深さを感じています。

自分を大切にして、自分を愛することを思い出し、実践していくと。

 

 

まぁ、すぐに退屈しちゃう(笑)

自分を満たすなんて、すぐに満タンになるのです。そして、自分だけではなく、誰かも自分を満たしてくれていることに氣づける。そうなったら一瞬で満タン!

満タンになって愛が溢れたら、必要としているところにシェアした方が氣持ちいい!

そして、愉しい!

自分を愛して終らないのです。

 

 

人は、神様みたいな存在でもあるから、自分だけ満足させても、その喜びはたかが知れています。

既に、誰かの喜びを自分のことのように、自分のこと以上に喜べるのだから。

 

自分を大切にする、自分を愛するということを深く学んだ後、

自分の愛を 軽やかにシェアするのです。

犠牲ではなく、自分の幸せが溢れた分で行いますから、怖れではなく愛というエネルギーが使われる。

創造の源を愛という無限エネルギーにシフトするのです。

 

その最も小さな具現化が、個人の幸せなのです。

幸せとは、状況ではありません。

心や意識の在り方です。

 

ネガティブな心の動きを排除するのではなく、それを受け容れるプロセスで

人は成長します。

心の在り方が変容するのです。

それにより、様々な視点がもたらされます。

高次の視点もそのひとつです。

 

ひとりのその心の在り方は、伝播され、それらが集まると文化になる。

ひとりの生き方は、もうすでにこの地球上に、そして、宇宙に放たれているのです。

 

ごきげんで生きる

すいぶん穏やかになってきましたが、近年の「ポジティブでなければ」的な風潮は、なんだかなぁ、と感じていました。
なんでもかんでもポジティブに!と、それだけがいいのだと向かっていくと、歪みが出るもの。
ポジティブになれない自分はダメだ、と思ってしまって、自分はネガティブだと決めつけてしまうのも不自然です。
そもそも両方あって、ポジティブな時もあれば、ネガティブになる時もある。

結果として、ごきげんになれたらいいですね。

「結果として」というのがミソです。その結末には、自分の自分に対する信念や価値観が現れるからです。

何があっても、それがいい悪いに関わらず、結末に持っていくんですよ。それくらい信念や価値観(マインド)は、強いです。

四六時中、ポジティブじゃなくても、いいんです。

でも、結果として、ポジティブな側面も視界に入れることは大切ですし、ごきげんよく生きていれば、ごきげんなことは集まってきます。

笑う門には福来たる

これは真実です。

 

でも、笑う門には福来たるを地でいく人は、一方で、反対側の気持ちに寄り添うのも自然です。何も否定しないから、結果として、ポジティブな側面も直視でき、笑顔が出るのです。

ご機嫌という言葉は、元々は仏教用語で「人が不快に思うようなことをしない」というところから来ているそうです。

ごきげんでいるというのは、自分はもちろん、他の人のためでもあるのです。

 

だからこそ、ポジティブだけではなく、いろんな心の動きをありのままに受け容れることが大切ですね。それは、それ自体が成長であり、学びです。

受容(アクセプタンス)は、成長への学びと同時に人生のミラクルを引き寄せる神聖なパワーそのものです。

どんなに泣いても、恨んでも、苦しんでも、
普遍的に存在する「よい面」があることを忘れない。

 

いろんな感情には、様々なメッセージがあり、本には書いていない自分自身の大切な真実が隠れているのです。

2019年8月のメッセージ

自分のやるべきことが見えてきて、コツコツ積み重ねることが愉しくなってきます。

集中力も高まり、努力することが、どこか確信をもって現れる未来を映してくれるでしょう。

同時に、今までもやっとしていたことが、どんどんクリアになり、夜明けが訪れます。

明るい光が照らされ、心も現実も晴れて来ます。

幻は、消えていき、真実はますますクリアになっていきます。

 

本当に欲しいものは何か?

心を確かめ、進めば、誤った思い込みにも氣づけます。

 

そして、やっと自分の理想を受け容れたり、わかったり、取り組めたりと、道筋がくっきりすることで、清々しい気持ちで進めるでしょう。

新しい自分でキラキラした眼差しで、魅力も増し、応援者にも恵まれます。

ピンと来たら自分から連絡を取ってみたり、誘いを受けたら受け取るなど、交流も愉しい時期。

心の充実、心の望むことを大切に。

 

夜明けです。

朝水久美子です

 セラピストになって15年になります。たくさんのセラピーを通じて、たくさんの学びと導きがありました。どんなアプローチが人々の癒しや目覚めになるのだろうと、氣づくとそのことばかり考えている私がいます。私自身が、人生を通じて、癒されてきたこと、学んで来たことが私を導き、輝かせてくれたように、誰もが癒され、学ぶことで深い人生の奇跡に導かれ、輝いて欲しい。その一助になればと思っています。私は暗闇の中にいる時でさえ、人の幸せが大好きでした。誰かの幸せを祈るのが大好きでした。悲しみに寄り添うのは呼吸するようなことでした。この仕事を始めて、まさに水を得た魚のようでした。そして今も、その海を泳いでいられることを幸せに感じています。
 多様化した時代で、迷いことはたくさんあるでしょう。ましてやこの変化のスピード。そして、変わっていくことと普遍的なことのバランスが取りづらくなっていることもあると思います。持っている才能を使うこと、持っている運を掴み、生かすこと、その中で学び成長していくことで花開くことをサポートしてまいります。真っ暗闇の中でも、けして光を見失わないのは、私の最大の特徴です。魂の光を見続けて、本来の輝きがこの地上を照らしますように。