刻まれたもの

短い夏休みを過ごしながら、仙台へ宝石の会と個人セッションに行って参りました。

既に秋の気配をいたるところに感じました。

のんびりしながら「休む」ということについて、夫と語り合ったり、いつもと違う空間で過ごすのは、やっぱりいい!

 

 

仙台では、出逢った人の手相を拝見しましたが、手相の面白さと奥深さを感じました。

自分自身の身体(手のひら)に刻まれているからでしょう。

シンプルに自分の内側からのメッセージとリンクし、深く受け取ってくださる場面が多いように感じます。

同じサインでも、解釈が流派によってずいぶん違うという印象もあります。
私は、その吉凶よりも、その手のひらに刻まれた印をニュートラルに読みます。

魂のアカシックレコードと今と未来の青写真を観ているようです。

 

意志は、あらゆることを越えていきます。

そして、意志の傍らには人智を越えたものが存在するのだと感じます。

自分が自分を裏切らなければ、運命は味方してくれる。

自分を裏切っても、自分を赦せば、赦されないことはないと語りかけてくれます。

そのメッセージと光景は、見事にその人を表しているようで興味深いです。

 

嬉しいご報告が相次ぎ、それは既に視えていた光景だったとしても、それを現実化している姿に触れると、また新しい感動がこみ上げます。

なぜなら可能性の世界は無数にあり、それを選ぶかどうかは自由意志に完全に委ねられ、現実化したときに、その時点の最大の可能性を越えてくることもたくさんあるからです。

しみじみ可能性は無限なのだと思うばかりです。

 

 

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