喜びについて話そう

喜びについて、話そう。

この制限の中で、喜びを体験することが、ある種、最も大切なことである。それは、神の祝福である。

人生に喜びをもたらすことは限りなくあり、ありとあらゆることが体験できる。それをし尽すということはないくらいだ。そう、哀しみや苦しみをし尽すということがないほどに。どうだろう。もう喜びにシフトしようではないか。すべての奇跡を慈しむことに意識をむけていく。これはあらゆるエネルギーを浄化することとなる。一瞬にして癒すということは、可能となる。それはそのために、感情はやはり鍵となる。多くの者たちにとって、感情とのつがなりが疎かなために、理想とする生き方がわからなくなってしまっている。わかっているつもりだろうが、それは自分のものでないことがほとんどである。本心をしらず、誰かの理想を掲げても、それは現実化しない。なぜなら描くことができないからだ。自分のものであれば現実化はそう難しいことではない。誰でもできることだ。喜びにつながれないならば、それ以外の感情につながっていることをしっかり掴むことだ。そうすれば自ずと選び直すことができる。無意識に喜び以外の感情に捉えられ、身動きが取れなくなっているのだ。感情を解放するのは、何にとらわれているか知るのが最も早く、着実だ。感情を解放するのは、自由であることを再確認することだ。そもそも自由なのだと、すべては喜びであり、祝福であるのだということを知ることだ。思考でやろうとしても、あまりに限界がある。とらわれたまま、自由を感じることはできない。自分がそうしたのだから、自分で解放ができる。自分しかできない。これがどんなことなのか知った時、あまりにそのとおりで愕然とするだろう。そして、大きな喜びを感じることだろう。

 

時間について話そう

今日は、時間について話そう。

地球上で大切な時間という次元。このシステムは実に優しい。

そして、整理しやすく、学びが容易になる。更に、メリハリのある体験を可能にする。今、時間が伸びたり縮んだりするような感覚を感じている人が多くなっている。もし、瞬時に思ったことが叶うような時間の制限がなければ、人間にとっては、かなりシビアな創造となろう。ネガティブに一旦ハマってしまうと、次々にそれが瞬時に現実化してしまうとなると、シフトするのが容易ではないかもしれない。時間がある種、思考の猶予、選択の方向転換、ペンディングなど、緩やかに学べることができる。とは言っても、地球での魂の成長(拡大)のスピードは、宇宙でも特異なほど早のだ。

ところが、今、地球と宇宙は、同調しはじめていて、時間の概念や空間も、今までとは違ってきている。伸び縮みする感じや現実化のスピードが変化したように感じるのは、そのためだ。意識的な生き方をしていると、これからの新しい流れは愉しめるだろう。そのために潜在意識の領域で、できる限りクリアリングしておくとよいだろう。これからは、顕在意識の領域が増えていく。意識のベールも溶けてきているからだ。過去世や魂の記憶をもって生まれてくる者が増えているのも偶然ではない。覚えている、もしくは、思い出すことは、特別ではなくなるのだ。むしろ、昨日起こったことのようにすぐ側に感じられるが、今を邪魔することはないくらい自然なことになる。自分自身が膨大な情報そのものとなる。それはすべての情報と共有している。知ろうと思えば、わかる領域へと進んでいく。隠し立てできなくなって困るようなことのないよう、様々なことが明らかになっている。集合的無意識の領域は、文字通り、共有されるであろう。

自身の魂がクリアリングされればされるほど、成長は加速し、時間の概念も更に変化が起こり、瞬間瞬間を生きるということが心地よくなる。人々によって、時間も空間も別々に生きることができるため、波動の共鳴がより一層強く働いてくるように感じるだろう。必然的に出逢い、必然的に起こり、必然的に分かち合いが始まる。まだまだ時間は人間に優しい。「こんなの嫌だ」と感じたら、自らの意志で、「これがいい」を選びなおすことができる。口で言うだけでは弱過ぎる。心で宣言するように。自ずと行動が伴うはずだ。行動が伴わない場合は、必ず感情が動く。想い、心、行動。それを一致させていければ、地球の旅は果てしなく愉しく愉快である。

 

受け取るということについて話そう

今日は、受け取るということについて話そう。

価値を感じるものを受け取っていることに意識を向けていけば、自分の価値観がわかるだろう。どんなに理想を掲げていても、それに価値を感じていなければ、目の前に差し出されていたとしても、受け取らないだろう。

例えば、誰もが願うことのひとつに愛がある。その愛の価値がわからない、もしくは、価値を感じられなければ、理想としているカタチでの愛は受け取らないだろう。「愛」というもの自分なりの定義を再確認してみるといい。

「愛は、・・」で始まる自分の定義を書き出してみるとよい。頭で考えていることではなく、心の奥底で感じている感覚で書くことが重要だ。そういう意味でも、感じていることを意識することは、どれだけ大切なことかということを強調したい。そこがズレていると、思っていることと実際起こることの解離は当然、必然的に起こるのだから。

哀しみや苦しさに価値があると考えることが悪いということではない。自分は愛されないことに価値があるということもそうである。自分の信念の価値は、現実を通して投影され、現実化しているだけなのである。

そういう意味で、愛でもお金でも受け取りたいのであれば、自分の価値を最大限に感じればよい。「価値がある」ということが、ありとあらゆるカタチで多くの「こと」、「もの」など、あらゆるカタチでもたらされる。

価値を感じるという意識そのものが創造である。それにより創造が起こる。価値を感じていることがそのまま創造されている。それはポジティブ、ネガティブを問わない。意識があるがままに創造される。すべては自由であり、いついかなるときも思い通りに意識する、しなおす、ことができる。方向転換自由である。

 

怒りについて話そう

怒りについて話そう。

怒りは、動的エネルギー。怒りを感じるときは、本来動くべき方向へ動かず、留まっている、もしくは、方向が間違っている時に生まれる。
きっかけは、通常、自分以外からやってくるかに見えるがそうではない。
自分がうごくべき方向へ動的エネルギーを使い生きているときは怒りは生まれない。怒りを感じたときこそ、自分はどこへ向かいたくて、何のために留まっているのか問うとよい。きっかけは、何であっても。
誰かを、もしくは、何かを守っているために、留まる、または、方向性がズレるのだ。
それゆえ、フラストレーションがたまる。
たまるは地球固有の思考から生まれたエネルギーだ。

怒りは、渦を巻いていき、周囲のエネルギーを巻き込み、様々な破壊をも可能とする。
破壊すべきは、自分の凝り固まった思考、守らねばならない、という想いである。
守らねばが、保たなければに変わるともはや目的さえ見失う。

 

そもそも、守られているのだから。

自分の向かうべき方へ進んでいく。

それが聖なる創造である。

 

愛について話そう

きょうは、愛について話そう。

すべては愛といえばそうなのだから、どんな創造も愛に基づき生まれている。

しかし、地球の流れは特異な創造をも可能にする。その特有のものは「ためる」というエネルギーだ。宇宙は、無限の有と無が同時に存在し、拡大(縮小)の方向を持つ。

地球上には、何かをためる意識がエネルギーを捩(よじ)らせ、そのねじれにより変化したエネルギーが変化しながら蓄積されてきた。次元の隙間にそれらが張り付き、次元間の交流が遮断(ベールがかかり)、そもそも多次元が同時に存在するこの時空にゆがみを生じさせた。それは、ある種のチャレンジであり、それが間違いだということではない。それもまた愛である。すべてのチャレンジが承認され、尊重される現れである。

この変化し、ねじれたエネルギーは、地球上にその結果として、あらゆるカタチで、この創造がどんなものか示されてきた。その創造をし続けるのか、それとも、本来の創造によるバリエーションを生むのか、そのチャンスは無限にあり、今も、同じである。

次元間のベールが開いたのは、ねじれたエネルギーが限界に達し、全体性において再バランスする働きが作用したこと。魂の波動が高まり、その高まりにより振動が生まれ、ある種の通信が始まったこともひとつである。地球に居ながらにして、肉体をもった上で、意識の波動をあげていくチャレンジのひとつの結果でもある。多くの者たちが意識の覚醒を体験し、自分が何者なのかという本質に氣づき始めた。抱えるのではなく、手放す、委ねる。すべては、充分であり、余るとか、足りないということはない、ということに目覚めはじめた。充分過ぎるという感覚さえ必要のないことである。すべては充分過ぎるほど、充分なのだから。

ためるという意識は、なくなるという恐れにより生まれた意識である。「限界を体験できる」というルールによる地球のゲームである。このゲームにより、時間と空間という領域を生かして、宇宙最高速の魂の次元上昇を体感できる。魂だけの存在は、この感覚は体験しえない。波動を下げた状態から上昇していく落差を体験できる場だということである。しかも、一方向だけでなく、多方向への落差体験ができる。地球は、宇宙の壮大なアトラクションのような場である。人生波あり、苦楽あり、喜びや哀しみあり、常に体感の落差を感じられるようにできている。この落差を創造するために、様々なものが創造された。それが極まり、このアトラクションは、大きな節目を迎えたのである。からくりがわかるアトラクションは、もはやその機能や目的を果たさなくなり、進化の時を向かえる。地球は、大きな進化に来ている。

なくなってしまうかもしれないものをためる、という恐れのトリックから目覚め、すべては完全であり、それを愉しみ享受していく流れの大きな転換である。ためるからわかちあう場への変化である。充分あるものを、どのように分かち合い喜びを体験するか。それが新しい進化した宇宙最高の次元上昇を体験できる場となり、更に多次元的に交流も始まり、地球で生まれたエネルギーをたくさんの星々と交流が始まり、宇宙全体の創造に意識的に関わっていく。そのために、様々な存在たちが地球に生まれ、その準備は着々と進んでいる。

今、ひとりひとりが意識を向けることは「愉しむ」ことである。過去のエネルギーを引きずることなく、今を感じることは、これから進化した地球の学びを進める上で重要なナビゲーションとなる。

今、エネルギーのねじれによる様々な現象が地球規模で起こっている。ねじれたエネルギーは凝縮され、その一滴が大きな波紋を起こす。本来のエネルギーは、一滴にならない。全体で巡るエネルギーは、破壊をおこなさない。完全なる循環である。

今日は、愛について話をするのであった。以上は、愛についての話であったが、もっと人間にイメージしやすく説明したい。

例えば、恋愛。人と人が惹かれあう。愛の交流に充分すぎるも、足りないことも本来ないのである。出逢いを求める人は、自分の意識に心を向けること。自分の内側から創造が生まれるのだから。心が向く方へ素直に応じていれば、その瞬間瞬間に愛を体験できる。これが本質だが、ねじれをもっていることを知っていれば、素直になることの意味がわかってくるであろう。素直になれば、時間はほとんどかからずに思ったように(実際は思った以上に)愛を体験することができる。しかし、人間には、この時間というものは優しく作用する。ほとんどすべての人間がねじれをもっているから、愛の創造が(自分の思ったように)できない。この時間は、ねじれに氣づき、ねじれをほどいていくことを可能にする。自分の内にある純粋な魂の光に氣づく。その過程で、自分じゃないもの、自分が創造したエネルギーに氣づくことでほどけていくのである。

実際には、誰かの顔があたまに浮かんだらコンタクトすること。まずは、自分とのコンタクトを極めていくことを心がけると、いろんなことがわかってくるはずだ。

世界は変わる。その変化は、もう始まっている。それは祝福すべき瞬間である。

 

愛について話そう 2

いついかなる時も、贈り物は届けられている。

それを受け取るか、受け取らないかである。受け取らないからといって、すねたりしないし、罰も与えないから安心して選ぶがよい。

あなたが何が好きで、何を求めていて、何が喜びであるか、相互に出逢うことを愉しもうではないか。

それらは出逢いである。

 

プロローグ

美しき森の輝ける緑、豊かにたたえた水の恵みよ。

すべては大地の中で育まれ、その準備は着々と進み、やがてその豊かさは美しき森として現れるように、すべてのことは目に見えぬ世界が創造し、育んでいる。
すべてを吸収し、育み、その基となっている領域を天に向かって昇華するとき。

それは、天地が逆転するような反転の世界が繰り広げられる始まりである。

内に在るものが外へ現れ、外で現れたものが内に還っていく。その恵みと巡りの中で、命は生かされ、そして拡大していく。

極まった拡大は、融合が進み、それはやがて縮小していくかに見えるであろう。

 

2019年9月のメッセージ

9月は、とても現実的な行動の月です。

先延ばしにしていたことに取りかかったり、ペースアップしたり、今までのやりかたを改善したり、思っていたことに着手しましょう。

現実逃避より、受け止める。先送りはやめましょう。

先送りするくらいなら、きっぱり方向転換や諦める覚悟が、運気を好転させます。

しっかり現実をみて、冷静に現実を直視し、本質に向きあえば、建設的な対応ができます。

自分の中で、グルグル回っていた自問自答に答えが出たり、前に進むことができます。

 

過去を振り返りながらも、成長する時です。

失敗から学ぶ

違うやり方で再チャレンジ

ワンパターンから脱する

現状から抜け出す

などのチャンスです。

まったく新しいやり方に挑戦するにも最高の時期。

ビジョンを再確認し、改めて仕切り直しするのもよいでしょう。

 

本質に向き合い、理想に向かって行動することで、たくさんの現実的な展開が待っています。

自分自身の好奇心、信念を原動力に想いっきりチャレンジしましょう。

 

シフト

化石燃料から、ゼロエネルギーへとエネルギー源を変化させるようなタイミング。

実際には、移行期間があって、徐々に変化してきている。切り替えの時は、一旦、その今までのエネルギー供給が止まったような感覚を覚えるだろう。

その切り替えは、何度か少しずつ、もしくは、はっきりと止まった後に切り替わり完了する。

その際に意識のシフトも同時に起こる。

新しいエネルギー源は、愛と信頼がベースになってるもので、枯渇しないもの。

過去がどうだったということは、ノスタルジーになっていく。

それは今ではない。

今、手の中にある愛と信頼をみる。

今を生きる。

 

自分を大切にする愛するのは

 

自分を大切にする

自分を愛する

 

そのような言葉がいたるところで目に触れるようになりました。

自分を大切にするより誰かを

自分を愛するより誰かを

そんな成熟のプロセスがあり、その流れの中で、次のプロセスに入ったことのひとつの現れ。

 

自分より誰かを

それは、誰かの犠牲の上に成り立っていたことでもあります。

きっと、本人は犠牲になったと思わなくても、その人を愛する人々は、きっともっとその人自身の幸せを願うでしょう。

誰かの犠牲の上に救われるような時代は終りました。

 

成熟のプロセスとして、未成熟な時期は自分のことでいっぱい。
それは自分を大切にするという段階ではなく、自分の欲求を満たすことにフォーカスされます。

次の段階では、誰かのためになる、誰かの役に立つ、誰かに喜んでもらうことが喜び、そして、それによる自己成長の喜びにフォーカスされます。その過程で、もしくは、極まってきた時に、自分より誰かを優先し、その喜びや生きている実感に没入します。誰かが喜ぶ、満足することが、自分の存在意義のように感じたり、愛の学びが深まる。

そして、みんなの中に「自分」も入っていることに氣づく段階に来ました。
誰かは、自分も大切にすることを、愛することを願っているのです。
自分がそう思うように、誰かもそう思うのです。

自分を大切にするなんて、愛するなんて、カンタン♪
なんて思っていたら、
あら!大変!どうするんだっけ?!

という優しい神様のような人々にたくさん出逢い、自分を大切すること、自分を愛することの学びの深さを感じています。

自分を大切にして、自分を愛することを思い出し、実践していくと。

 

 

まぁ、すぐに退屈しちゃう(笑)

自分を満たすなんて、すぐに満タンになるのです。そして、自分だけではなく、誰かも自分を満たしてくれていることに氣づける。そうなったら一瞬で満タン!

満タンになって愛が溢れたら、必要としているところにシェアした方が氣持ちいい!

そして、愉しい!

自分を愛して終らないのです。

 

 

人は、神様みたいな存在でもあるから、自分だけ満足させても、その喜びはたかが知れています。

既に、誰かの喜びを自分のことのように、自分のこと以上に喜べるのだから。

 

自分を大切にする、自分を愛するということを深く学んだ後、

自分の愛を 軽やかにシェアするのです。

犠牲ではなく、自分の幸せが溢れた分で行いますから、怖れではなく愛というエネルギーが使われる。

創造の源を愛という無限エネルギーにシフトするのです。

 

その最も小さな具現化が、個人の幸せなのです。

幸せとは、状況ではありません。

心や意識の在り方です。

 

ネガティブな心の動きを排除するのではなく、それを受け容れるプロセスで

人は成長します。

心の在り方が変容するのです。

それにより、様々な視点がもたらされます。

高次の視点もそのひとつです。

 

ひとりのその心の在り方は、伝播され、それらが集まると文化になる。

ひとりの生き方は、もうすでにこの地球上に、そして、宇宙に放たれているのです。