受け取るということについて話そう

今日は、受け取るということについて話そう。

価値を感じるものを受け取っていることに意識を向けていけば、自分の価値観がわかるだろう。どんなに理想を掲げていても、それに価値を感じていなければ、目の前に差し出されていたとしても、受け取らないだろう。

例えば、誰もが願うことのひとつに愛がある。その愛の価値がわからない、もしくは、価値を感じられなければ、理想としているカタチでの愛は受け取らないだろう。「愛」というもの自分なりの定義を再確認してみるといい。

「愛は、・・」で始まる自分の定義を書き出してみるとよい。頭で考えていることではなく、心の奥底で感じている感覚で書くことが重要だ。そういう意味でも、感じていることを意識することは、どれだけ大切なことかということを強調したい。そこがズレていると、思っていることと実際起こることの解離は当然、必然的に起こるのだから。

哀しみや苦しさに価値があると考えることが悪いということではない。自分は愛されないことに価値があるということもそうである。自分の信念の価値は、現実を通して投影され、現実化しているだけなのである。

そういう意味で、愛でもお金でも受け取りたいのであれば、自分の価値を最大限に感じればよい。「価値がある」ということが、ありとあらゆるカタチで多くの「こと」、「もの」など、あらゆるカタチでもたらされる。

価値を感じるという意識そのものが創造である。それにより創造が起こる。価値を感じていることがそのまま創造されている。それはポジティブ、ネガティブを問わない。意識があるがままに創造される。すべては自由であり、いついかなるときも思い通りに意識する、しなおす、ことができる。方向転換自由である。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です