
自分を大切にする
自分を愛する
そのような言葉がいたるところで目に触れるようになりました。
自分を大切にするより誰かを
自分を愛するより誰かを
そんな成熟のプロセスがあり、その流れの中で、次のプロセスに入ったことのひとつの現れ。
自分より誰かを
それは、誰かの犠牲の上に成り立っていたことでもあります。
きっと、本人は犠牲になったと思わなくても、その人を愛する人々は、きっともっとその人自身の幸せを願うでしょう。
誰かの犠牲の上に救われるような時代は終りました。
成熟のプロセスとして、未成熟な時期は自分のことでいっぱい。
それは自分を大切にするという段階ではなく、自分の欲求を満たすことにフォーカスされます。
次の段階では、誰かのためになる、誰かの役に立つ、誰かに喜んでもらうことが喜び、そして、それによる自己成長の喜びにフォーカスされます。その過程で、もしくは、極まってきた時に、自分より誰かを優先し、その喜びや生きている実感に没入します。誰かが喜ぶ、満足することが、自分の存在意義のように感じたり、愛の学びが深まる。
そして、みんなの中に「自分」も入っていることに氣づく段階に来ました。
誰かは、自分も大切にすることを、愛することを願っているのです。
自分がそう思うように、誰かもそう思うのです。
自分を大切にするなんて、愛するなんて、カンタン♪
なんて思っていたら、
あら!大変!どうするんだっけ?!
という優しい神様のような人々にたくさん出逢い、自分を大切すること、自分を愛することの学びの深さを感じています。
自分を大切にして、自分を愛することを思い出し、実践していくと。
まぁ、すぐに退屈しちゃう(笑)
自分を満たすなんて、すぐに満タンになるのです。そして、自分だけではなく、誰かも自分を満たしてくれていることに氣づける。そうなったら一瞬で満タン!
満タンになって愛が溢れたら、必要としているところにシェアした方が氣持ちいい!
そして、愉しい!
自分を愛して終らないのです。
人は、神様みたいな存在でもあるから、自分だけ満足させても、その喜びはたかが知れています。
既に、誰かの喜びを自分のことのように、自分のこと以上に喜べるのだから。
自分を大切にする、自分を愛するということを深く学んだ後、
自分の愛を 軽やかにシェアするのです。
犠牲ではなく、自分の幸せが溢れた分で行いますから、怖れではなく愛というエネルギーが使われる。
創造の源を愛という無限エネルギーにシフトするのです。
その最も小さな具現化が、個人の幸せなのです。
幸せとは、状況ではありません。
心や意識の在り方です。
ネガティブな心の動きを排除するのではなく、それを受け容れるプロセスで
人は成長します。
心の在り方が変容するのです。
それにより、様々な視点がもたらされます。
高次の視点もそのひとつです。
ひとりのその心の在り方は、伝播され、それらが集まると文化になる。
ひとりの生き方は、もうすでにこの地球上に、そして、宇宙に放たれているのです。