祈るけど 人柱にならない

関東に住んでいる息子は、ふたりとも川沿いで心配したけど、
もう最後はやっぱり「なるようになる。」「神のみぞ知るの世界だね」なんて話した。

リアル「天気の子」じゃん、なんて話も。

サバイバル能力は、きっとある!その感覚に従って。

いたずらに心配することもないけれど、どこまでも自然には、謙虚であること。

それが子供たちに伝えた大事なことのひとつ。

 

 

映画「天気の子」を観た時は、座席から立ち上がれないほどだった。感想もシェアできない。声を出すと、涙の方が先に出た。

 

昨夜は、台風情報を見ながら、

「もう人柱になるのは終わりだよ」なんて、夫が言った。

 

人柱にはならないけど、祈りはやめないよ。

その祈りが何にもならなくても。

祈らずにはいられないもの。

 

 

誰かの犠牲のうえに何かが助かるなんて時代は終わった。

最初から誰かの犠牲で助かった訳じゃなかったのかもしれない。

誰しも子供の頃に魔法を持っていて、

今日はおやつを我慢したから、パパとママがケンカしなかった みたいな。

 

何の因果関係もないのに、大好きな人のために自分を捧げる。

 

それは大好きな人を喜ばせることだと疑いもせずに。

 

 

そうじゃない!!!

自分を犠牲にしないで!!!

 

 

その声が聴こえるだろうか。

受けとめて、笑顔で抱きしめられることを赦せるだろうか。

 

あなたを大丈夫にしたいのではなく、

あなたの大丈夫になりたいという人の声は

果たして誰の声だろうか。

 

 

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