サバイバーズギルトを考えていたら精子が出てきた

台風が近づいて、この自然のパワーに圧倒される。こういうとき、自分のスタンスがクリアになる。生きることに執着あると思っているし、できる限りの想定をして行動するのだけど、どこか、自然に対してどうにかしようとなど、さっぱり思っていない自分に気づかされた。

だって、お天気のことだもの。

もちろん、被害に遭う人がいませんようにと祈るけれど、人間がどうにかすることでもない気がするのだ。

天災地変は、どこか地球のホメオスタシスでもあるのだと思えてならない。人間の関係ないところでの動きだってあろうかと思うし、人間の都合で環境に与えてしまっていることだってあろうだろうし。それがいけないとかではなくて、ただそうなんじゃない?って感じるわけ。その恩恵を受けていて、自然のバランスが崩れた時だけ、人間だけ影響を受けませんようになんて思っちゃうけど、変だなぁとも思う。外界で生きている動物は、ただ生きるでしょ。そして、死ぬかもしれない。

事前に対処できるのは、動物もそうかもしれない。ネットの情報じゃないと思うけどね☆

だけど、生き残ってしまったことに対して感じるサバイバーズギルトは、人間だけなのではないか。ギルト。人間だけだよなぁ。

私は死ぬのを待っている訳じゃないけれど、いつも死ぬ準備をしているみたいなところがあるの。

かっこつければ、今日の日を懸命に生きるだけなんだけど、それも言葉にするとなんだかかっこいいけど、実際にはどうだろう。私の中にあるサバイバーズギルトがそうさせる部分がある。

そんなの必要ないのにと頭では思う。でも、どこかにある。ずっと。

そういうのも、人間っぽくていいんだと思う。たくさんの人のそれに出会って、自分のそれにも優しくなれたように思う。

ただただ、生きられることを愉しんで、

この世を去る時にやりきったー、と万歳するような心境で在ろうと今日も生きる。

 

でもさー、人間の中にも、動物っぽいところがあると思うのよ。

たくさんの精子の中の1匹が、「ゴメン!オレだけ生きてしまって」、なんて思わないよね。

みんなの中の1匹に見えるけど、そうではなくて、その存在のために存在するみんながいるみたな。自然界と同じ。

選ばれしものみたいな感覚になるのは、人間だからなのだと思う。

たくさんの中の1匹であって、同時に他を生かすための全体という存在でもある。

卵子は、さらにシビアに存在している。ただただ強く生きている。その生命力たるや。すごいのよ。君臨という感じ。

自分の中の動物的な生命力をもう一度思い出すようなそんな時なのかも。

 

 

 

 

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