不快なことを避けようとするのは、本来の生き残るための能力でもあるが、至高の人生を生きるとき、あるポイントで、シフトするタイミングが、人生の中で何度か(何度も)やってくる。
その時に、いつものパターンや今の自分が認知している(わかったと思っていること)だけで何とかシフトしようとしても上手くいかない。
どんな魂にとっても、それは等しく訪れるが、特に、たくさんの経験を積み、成長してきた魂にとって、認知していない未知へ踏み出すことは、多次元的な領域で大切である。
もはやそれによって使命が果たされるようなことまで起こる。
今まで知っているまあまあな喜びにとどまるようなことをしてしまってはいないか、自分に問いかけてみよ。
果たしてそれは、まあまあなのか。まあまあならまだよいが、それが苦しみにはなっていないか。不快ではないのか。
魂の求めは、わかりやすく至高の喜びにしか、たどりつかない。魂は、明らかなエクスタシーに向かっている。
まあまあでお茶を濁している者たちは、それがよいのだと必死で自分で証明しようと、アファメーションに余念がない。不快であることを振り切るように。
一方、知らない世界を発見した者たちは、どこまで行っても続くチャレンジにも子供のような好奇心と軽やかさで踏み出す。自分への信頼と共に。そこで、果てしない喜びを見つけることで至高の人生をクリエイトすることにフォーカスする。それは自ずと分かち合うという喜びの拡大と一体感が共存する世界で生きるのだ。