*体験したいことを体験するために(得たいことではない。)
現れること、それに反応する自分をシンプルに味わい尽くすことは、自身の神聖性に触れ、体現することである。
*「こだわり」が人生を進めてくれるとき、人生を混乱させるとき。
こだわりそのものは、自分の中心を感じることであり、執着ではない。
*不快なことを避けようとしなくていい。どちらも味わう。そして、そのどちらもおなじところにたどり着くことを知るだろう。
*DoとBeの両方を愉しめる。在り方を極めることは、何もしないことではない。
*思考に頼り、わかろうろうとすることで、知っている世界から分離する。わからないままでよい。すると、説明することのできない知っていることを体験できる。
考えない=知っている世界と繋がる
私得意の付箋メモのような。(講演会など、これよりもっと短いキーワードを書いて、小さな付箋を持参)これで完結してしまうのです。
ここをもっと説明してほしいということや御質問などありましたら、遠慮なくどうぞ!どうぞお待ちしております。